「海を照らす光」





レイチェル・ワイズが出演と知り、読み損ねていた原作小説を読みました。


おおーーーーーーー

なんという素晴らしい小説だろう。
457ページ、好奇心が全く途切れることなかったよ。


原題 The Light Between Oceans

海を照らす光



ー 無人島で灯台守となった帰還兵とその妻の物語 ー


オーストラリア本島から離れた、住民のいない、
灯台のあるヤヌスロック島。
島の名称が暗示することが随所に出てきます。

『ヤヌス』=ヤヌスの神 相反する二つのもの
善と悪/生と死/実の親と育ての親/誠実さと偽り/憎しみと容赦
戦争で死ぬ者生き残る者

<あらすじ>
第一次世界大戦?後のオーストラリア、
戦争での人殺しに心を苛まれた男が、孤独でいられる仕事、灯台守を選ぶ。
本島で知り合った10歳年下の女性に愛され、結婚し、
夫婦二人きりの島暮らしが始まる。
妻の兄二人は戦争で死んだ。悲しみが支配する実家を離れ
幸せな日々。しかし、妻は何度も流産する。
ある日、小さなボートが島に流れ着き、死んだ男と赤ん坊が乗っていた。
赤ん坊を自分の子として育てると言い切る妻、
仕事の規則と良識が第一で、報告しようとする夫。
妻への思いと赤ん坊の存在への畏敬の念で、夫は自分の信念を押し殺す。
休暇になり一家は妻の実家を訪れ、赤ん坊の洗礼式を行う。
そこで知ってしまった、赤ん坊の実の親の事情。
罪悪感と妻への愛に心が引き裂かれる夫。
夫の良心が起こした行動が、やがて夫婦と子供の運命を狂わせる。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

「八日目の蝉」を思い出す。
あれは、男の浮気が妻と愛人と娘の人生を狂わせたから、
怒りの持って行きどころがあってよかったが、
この小説は、みんながかわいそうです。

私は、流産した女の絶望感と行き所のない母性愛には非常に共感する。
完全にイザベルの味方です。それが違法なことでもね。
妻に黙ってよけいなことした夫にはムカついた。

この小説で好きになれない部分は、時代がどうあれ、
嫌な環境にいるなら、なぜそこから移動しない?ってとこなの。
ハナとフランクのことよ。
地域の人間が差別するなら、引っ越せよ。
いつまでもそこにいるから悲劇が起きたんじゃん。ってね。

・学校でいじめにあっている→転校させるか家庭学習にすりゃいい
・会社が非道→転職しな訴えな
・夫が殴る→家出しな離婚しな訴えな
・親が殴る→家出しな警察や児童相談所に訴えな
(子供の権利は守らないのが警察と児童相談所だけど、
親に恥をかせることはできるし、うまくいきゃ、親、刑務所に入れられる)

いろんなケースがあって簡単には逃げられないとか言うけど、
勇気がないだけだと思うのだ。

だから、ハナには好感が持てなかった。
夫が差別され暴力に合っているのに、いつまでも同じ所で働かせ、
同じ地域に住んでたんだから。
腹を痛めた子供を奪われた苦しみには同情するけどね。

あとは、やはり、なんでもかんでも『神』が出てくるとこね。
私にはこれは噴飯ものだから、
世界中でどんだけどんな宗教が強固に信じられていようとも、
その描写があるだけで、サめる サめちゃう

ああ・・・・ やっぱり悪口言っちゃった

こんな素敵な小説なのにー

小説読んで、映画のキャステイングを見ると、
うーーーん、もっとこう、新人使った方が私の好み。
全くの新人を発掘するとか、それこそオーストラリアに探しに行くとか、
しないんかい!?ハリウッド! しないんだろうね。
そんな手間暇かけるより、
有名どころで客を呼ばないといかんのだろうね。

でもレイチェル・ワイズは、ハナ役にとても合ってると思う。
実年齢が信じられないくらいいつまでも可愛い、
思いつめひたむき顔だからね。




イザベルの母親が言う
「女は、蛇蠍(だかつ)のごとく夫を嫌っていても、その子供には愛を捧げられる」

あの、
「ローズマリーの赤ちゃん」の恐ろしさ哀れさはその点よね。

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M L ステッドマンは、作家はその作品でのみ知られるべきとの考えらしく、
個人的なことは公表していないそうです。
好きだ、こういう考え。






「特捜部Qキジ殺し」


■時々夫にシャレで英語でメールしてみるが、
ダメ出しされるのが非常に悔しい!

I had the flu this New Year holidays.

寝込んで過ごした年末年始でした。

映画は面白かったが、絶対原作をかなり省略してるはずの、
「特捜部Qキジ殺し」を、映画を見てすぐ読みました。
このシリーズは一気読みしたくなる面白さなので、目が痛くなる。
読みきりたいのを我慢して2日に分けて読みました。
で、すぐ、インフルになってて、感想書けなかった。

5日も風呂入らず髪洗わずでも不快感を感じる余裕がないほど消耗したわ。
インフルめ!
今は平熱になり、でも、発熱後のフラフラ感で、スーパーに行くのさえ勇気出ませんが、
録画溜めてあった海外ドラマを見はじめました。

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特捜部Qシリーズ 著者ユッシ・エーズラ・オールスン

特捜部Qとは、デンマークの警察署の地下に新設された、
未解決事件を再捜査する部署のこと。
過去の捜査でミスをしたカールの復職先。
第1作「檻の中の女」では、
女性議員が行方不明になって5年が過ぎた事件を解決した。


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・ネタバレなしであらすじ紹介

特捜部Qの部屋にいつの間にか置かれていた書類は、
20年前の<高校生兄妹殺害事件>の書類だった。
カールとアシスタントのアサド、新しく配属された秘書のローセは、
事件の重要な鍵となるホームレス、キミーを追う。
事件の背後には、今やデンマークの大物になった、
ある寄宿学校出身者達の存在があった。

・ネタバレありで映画との相違(ほぼキミーのこと)

タイトルのキジ殺しとは、
キジをたくさん森に放ち、とにかく殺す、撃ち殺す、
殺すのが最高の快感のくそ金持ち男らの狩猟ゲームのことで、
こいつらは、キジどころか、あらゆる生き物を檻に閉じ込め保管しておき、
ゲームの時にどれを殺すか楽しく計画しどう殺すか楽しく考える。
で、こいつらが極悪金持ち高校生だった頃のゲームが、
キジじゃなくて人間だったわけ。弱い者いじめどころか、弱い者撲殺ゲーム。
大人になって紳士の嗜み(けっ!)として狩りやってるが、
こっそり人間撲殺も続けてる奴らです。
ここんとこの大事な意味合いが、映画では言葉としてキジを殺すって出てこないから、
なんでキジ殺し?と疑問に思っちゃうのです。

9年後に自首ってのは、
キミーが殺戮の証拠を持ってるって仲間を脅したから、
1番貧乏な奴に金握らせて自首させたわけで、
映画は証拠品の部分をすっぽり抜いてるし、
成人後の再会の部分も無しにしてる。

で、映画では、カールがキミーを、
胎児を失ったかわいそうな女性として見ちゃってるが、
小説には、キミーの持って生まれた殺人者気質が書いてあるし、
どうやら父親の異常性がキミーに増幅遺伝したように思える。
暴力こそ生きるあかし、みたいな人間なんだ。
キミーを被害者として描いてはいけないのですよ本当は。

キミーの子供の父親も違うし、付き合った相手も違う。
映画じゃ、夢中になった上級生に身も心も、みたいに描いてたけど、
とんでもない!ヤりたい時にヤりたい相手を意のままに操りヤる、
のが快感なだけの女です。性欲と暴力ががっちり結びついてます。
映画でディトリウに「愛してる」っていうのって、おかしいとは思ったのよ、私は。
キミーみたいな女に愛は必要ない感情だもん。
一見、親の愛を感じずに育ったからこうなった、と思わせる描写もありますが、
キミーは、親の愛なんてくそいまいましい、
おめえらのいいなりになってたまるか!の反骨精神の方が優ってるから、
気の毒とか親のせいで、とかの同情は湧かないように書けている。

「檻の中の女」と同じ、映画は大半の細かいエピソードを省いてますし、
登場人物のキャラも変えてます。
が、映画そのものが面白いので許しちゃう。
ただ、映画じゃなくてドラマとして作ったら、もっと満足いくものになるだろうな、
と思います。原作好きとしては。

しかしこの著者、胸糞悪くなる、人間の執念深さや残酷性を書きながら、
なぜか全体から受ける印象がすっきりしてる。いやな感じがしない。
なぜなんだろう?

一箇所、大爆笑したシーンがあった。
秘書ローセに、「お尻の形のはげがあったから・・・」と言われたカールの、
「お前には慈悲の心というものがないのか」と思うところ。

~(^◇^)/

ローセ、いいね。


ところで、
『すごくいやらしい身体をしてる』って、どんなだろう?
思い浮かばない。女には気づかない男だけに感じ取れるものなの?
スタイルがいいとか、メリハリボディとかっていうのとは違う何かなんだろうね。


映画「特捜部Qキジ殺し」過去記事



成人後のキミー役ダニカ・カーチック(クルチック?)Danica Curcic
クラッシックな美人

ダニか





「アリソン・アトリーの生涯」


ビアトリクス・ポターの「ピーター・ラビット」の約20年後、
アリソン・アトリーの「グレイ・ラビット」が出版される。
英国の田舎が舞台で、うさぎを中心にした小動物が出てきて、
挿絵と文章が見開きに一ページずつある形態で、女性が作者。
両方とも大ヒット。


グレイ・ラビット
最初の挿絵画家が、途中からギャラあげろって言って出版社が拒否したため、
別の出版社別の挿絵画家によるシリーズに変わる。

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ピーター・ラビット
文、絵 共にポター作。

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ということで、
ピーターラビットと比べられることにいつも激怒していた、
アリソン・アトリーの人生についての本です。

「この子は顔がまずいから、教育を受けさせなさい」と、
本人の前で大人が親に言った。
そしてこの子はケンブリッジに行った。


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アリソンはたくさんの日記を残していて、そこに書かれた内容が、
この本を書くにあたり重要な参考になったと、作者が書いています。
抜粋された日記によると、日々の出来事よりも、
それに対する感情の吐露が多く、
アリソンの気性の激しさを充分想像できます。


頭脳明晰で物理学に情熱を燃やし、大学生活を謳歌したアリソン。
恋愛結婚をし息子を産んで、主婦として生きていたが、
夫の入水自殺後、生活費を得るため(と本人は主張しているがある程度の資産はあった)
大学時代の教師の勘違いにより、物書きの道を進むと決心する。
*同名の文章の才能があった生徒と間違えられ、文筆家になってるか?と聞かれた

知らなかったけど、アリソンは、グレイラビットの前に書いた作品で、
それなりに成功していました。

私は、アリソンの作家としての活動年鑑より、この女性の人物像に興味があった。
夫を愛しているのは間違いないが、金銭への強迫観念があったに違いないと思える、
家計に関する夫への叱咤激励?愚痴、急かし。加えて、
周りの人間への排他的な嫌悪と怒り。嫉妬や憎しみが湧きやすく、
支配欲が強い。
1人息子への強烈な抱き込み作戦は、息子に重くのしかかり、
成人後も逃れられずに、アリソン没後2年で妻子を残して自殺という結末。


自分に共通する性格がチラチラし、猛反省することになった読後。

我ながら恐ろしいのは、
そこまで息子に自分の影響をなすりつけられたアリソンが羨ましいと、
こっそり思ってしまったこと。すみませんすみませんすみません


だけどはっきり言っちゃう
妻よりも友人よりも誰よりも、あたし(息子の母親)の影響が一番大きくなきゃ、
絶対!!!!嫌だ! これが本音。

スンマセン だけど、
これをイタリアマンマが言えば微笑ましいと受け止められるんでしょ?

ふん

アリソン、金と名声は手にしても、心は常に荒波がのたくっていたらしき人。
気の毒に

子供時代の記憶が幸福に包まれている人だからと言って、
私みたいな性格にならないとは限らないと驚いたのです。
やはり産まれつきってやつが大部分を占めるもんだな。





「テロ」


フェルディナント・フォン・シーラッハの新作、やっと読んだ。
やっぱり一気読みになった。

表表紙は黒 裏表紙は白
つまり有罪と無罪ね。


シーラッハてろ



シーラッハのいつもの筋書きなんですが、
犯罪の裏と表を皮肉交じりに、実際の事件や裁判や歴史を例にして、
白黒つけずに、読者にも考えさせるように書いている。

これが有罪というならあれはどうなんですか?
これはダメというなら、なぜあなたはあれを許すんですか?
と、
裁判シーンでは、事件の経過、証拠の吟味、証言などを超えた、
人間の本質論議、法律の不備や解釈の仕方などに突っ込み、
何が悪で何が善か、これが有罪か無罪か、
何もかもこの世に確かなものはない、揺るぎのない人間はいない、
と言っている。


今までの本に比べると、物語の面白さより、
犯罪と人間についての禅問答のような面が強くなり、
ちょっと疲れた読後感でした。

本作の被告人が有罪か無罪かは、
読んだ私たちが決めるように構成されています。
これ、恋人や夫婦で議論でもした日にゃ〜、ケンカになりそうだなー。

これを舞台で朗読した「裁判劇 Terror」は面白かったんでしょうか?


*シーラッハの、フランスの雑誌社<シャルリー・エブド>へのスピーチも収録


_____________________

シーラッハ、自分の感覚が、キリスト教社会と異なる禅的なものに通じると感じ、
良寛の俳句などを作品にも入れていたように、
日本に来た時には、空港で、飛行機にお辞儀する人を見てすごい!と思ったとか。

実はこういうの、私がめちゃめちゃ嫌いな日本文化なんだ。
空港で 飛行機にお辞儀してる人を悪く言うんじゃなく、
よくスポーツの部活員が、校門に向かってお辞儀(強制)とか、
髪型や服装のきまり(強制)のキツキツさとか、
スポーツ以外でもなんでもかんでも精神論で、
権力者が下のもんに押し付けるあれこれが嫌い!

だから、外国人が禅だの日本文化だのを妙に褒めるのがむずむずする。

古臭い精神論の日本、大嫌い。
集団行動、出る杭は打つ、男尊女卑、家長主義、行儀作法、躾、
子供を大人の都合のいいようにするための(家畜化 奴隷化)公立教育のやり口。
ちまちましたその他もろもろ














「海を飛ぶ夢」 原作


▪️この前朝起きたら足つって、数日間つりっぱなしだなと思ったら、
肉離れだった様子。寝てただけなのに びーです


映画を見てからずっと、
読みたいと思いながら読みそびれていました。



海を飛ぶ夢




ラモン・サンペドロ・カメラン。
ノルウェーの商船に整備工として乗り組み、世界中の港を旅したのち、
恋人の両親に会いに行く日(1968年8月23日)に、
高所から海に転落し海底に頭部を強打、第七頸椎を骨折する。

頭(脳)のみが健康で体は全部麻痺となり、その人生の苦痛から約30年、
自死の権利を主張し、スペインで初めて安楽死権利の裁判を起こす。

1998年1月、ある女性に手伝ってもらい、死ぬことができた。


ラモンが口にペンをくわえて書いた、手紙や詩などをまとめた本です。


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映画では、海に飛び込んでぶつかったように描かれていましたが、
本によると、飛び込んだのか落ちたのか、本人もよくわからないようです。
身を固める覚悟ができてない若者が、彼女の親に会うのを、
直前になってもまだためらって崖を歩いているうちに気がついたら落ちてた・・・
そんなとこ。

ここで、冷たい私は、  
ったく、彼女の親に会うと決めたのに、
(しかも処女みたいには恥じらうだかなんだか書いてある)いじいじしやがって!と怒り、
結婚なんて責任あることやめて、無料でやらせてくれる港で馴染みの娼婦んとこ行きたいな、
なんてぼーっと考えてたらしい所にかなりムカついた。


しかし、私は嫌われようとその場が気まずくなろうと、聞かれれば言うが、
普通はあんまり表立ってこんなこと言う人はいない事柄が、
怒りと絶望まじりで悟っただろう、ラモンの血を吐くような言葉で綴られているのが、
それはそれは気持ちよかった。

安楽死を批判し説教こく人々や神父に対する手紙でね。

『神は、絶対的な支配者になろうと、
恐怖で子供をしつける父親と変わりない』
 そーだそーだ そのと〜りだ

『宗教が皇帝国王国家と手を結び、共通の利益を得ようとすると、
世界規模で組織化された犯罪に結びつく』


『死を前にすると人々は自分を欺き、もっともらしく死を否定する。
そこで社会に寄生する権力者たちは、死の恐怖を利用して人々を支配する』


『医者は痛みを利用する 神父は死を利用する』


などなどすべての章に、苦しむ者に対する、
くっだらない倫理観や専門家とやらのごたくにうんざりしたラモンの、
理路整然とした意見が書かれ、私が血を煮えたぎらせて怒り忌み嫌う、
権力者の本性・本質を暴いている。


この点、ものすごく爽快。



病気で苦しむ人に「自殺は駄目だよ」という人は、
自分がその病気になるなんて絶対ノーなくせにね。
世の中、病気や怪我を抱えて明るく頑張る人ばかり応援すんじゃねえ!
死にたい人だってその何倍もいるに決まってるんだ。
死にたきゃ死なせろ!

ラモン、死ねて良かったね。でも、もっと早く死ねたら良かったね。


映画「海を飛ぶ夢」