「テロ」


フェルディナント・フォン・シーラッハの新作、やっと読んだ。
やっぱり一気読みになった。

表表紙は黒 裏表紙は白
つまり有罪と無罪ね。


シーラッハてろ



シーラッハのいつもの筋書きなんですが、
犯罪の裏と表を皮肉交じりに、実際の事件や裁判や歴史を例にして、
白黒つけずに、読者にも考えさせるように書いている。

これが有罪というならあれはどうなんですか?
これはダメというなら、なぜあなたはあれを許すんですか?
と、
裁判シーンでは、事件の経過、証拠の吟味、証言などを超えた、
人間の本質論議、法律の不備や解釈の仕方などに突っ込み、
何が悪で何が善か、これが有罪か無罪か、
何もかもこの世に確かなものはない、揺るぎのない人間はいない、
と言っている。


今までの本に比べると、物語の面白さより、
犯罪と人間についての禅問答のような面が強くなり、
ちょっと疲れた読後感でした。

本作の被告人が有罪か無罪かは、
読んだ私たちが決めるように構成されています。
これ、恋人や夫婦で議論でもした日にゃ〜、ケンカになりそうだなー。

これを舞台で朗読した「裁判劇 Terror」は面白かったんでしょうか?


*シーラッハの、フランスの雑誌社<シャルリー・エブド>へのスピーチも収録


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シーラッハ、自分の感覚が、キリスト教社会と異なる禅的なものに通じると感じ、
良寛の俳句などを作品にも入れていたように、
日本に来た時には、空港で、飛行機にお辞儀する人を見てすごい!と思ったとか。

実はこういうの、私がめちゃめちゃ嫌いな日本文化なんだ。
空港で 飛行機にお辞儀してる人を悪く言うんじゃなく、
よくスポーツの部活員が、校門に向かってお辞儀(強制)とか、
髪型や服装のきまり(強制)のキツキツさとか、
スポーツ以外でもなんでもかんでも精神論で、
権力者が下のもんに押し付けるあれこれが嫌い!

だから、外国人が禅だの日本文化だのを妙に褒めるのがむずむずする。

古臭い精神論の日本、大嫌い。
集団行動、出る杭は打つ、男尊女卑、家長主義、行儀作法、躾、
子供を大人の都合のいいようにするための(家畜化 奴隷化)公立教育のやり口。
ちまちましたその他もろもろ














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