「サイの季節」


原題 FASLE KARGADAN HA 2012年 イラク/トルコ

監督 バフマン・ゴバディ 

出演
カネル・シンドルク(詩人若い頃)
ベヘルーズ・ヴォスギー(詩人 釈放後)
モニカ・ベルッチ(詩人 妻)
ユルマズ・アルドアン(運転手 若い頃と老人)


サイの季節



無実の罪で詩人とその妻が監禁される。
30年後、詩人は妻を探す。
妻は他国で子供と暮らしていた。

クルド系イラン人、サデッグ・キャマンガールの体験の実話だそうです。
ご本人は処刑されているようです。

*イランにいる人たちの民族や宗派?の複雑さは、とても整理できません。






とにかく!映像が素晴らしい!ど、ど、ど級に美しい!

黒が漆黒!黒とセピアがかった風景の色のコントラストは、
キリコの絵を思い出す。


映像でもセリフでもあまり説明しない、詩的叙情的映画なので、
自分なりに解釈したことを時間経過で整理してみる。
ネタバレになりますが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

舞台はイラン。 時代はイラン・イスラム革命時。
結婚して2年の、詩人サヘルとその妻ミナ。
ミナに迫るもフラれた運転手の、逆恨みによるデタラメ密告で、
夫婦は監禁され拷問を受け、裁判なしの判決が下る。
夫30年 妻6年の刑。
一度だけ許された頭巾をかぶったままの夫婦面会で、
運転手が途中で強引に夫と入れ替わり、
ミナを強姦する。

ミナは強姦でできた双子の女児を産む。
その後出所。娘たちとトルコに移り住む。

監獄の中で老人となったサヘルは、出所するとミナを探す。
自分の前にもミナを探していた男がいることを知る。


運転手はミナに付きまとい続けている。
生活費やパスポートを与える代わりに体を要求している。
双子には自分が父親だとは言ってない。

ミナの娘たちは、トルコを出て、ヨーロッパに移住したい。
金を稼ぐため売春をしている。
大雨の日、客のところへ行く途中、娘たちは運転するサヘルに出会い、
車に乗せてもらう。三人は互いを知らないまま親しくなり、
親切なサヘルに気を許した娘は、サヘルと寝る。
「パパは詩人だったけど死んだの。ママは彫り師よ」と娘の一人が言う。

サヘルはミナに刺青を入れてもらいそのまま別れる。
運転手を見つけたサヘルは彼を車に乗せ、
殺すため、自死するために、そのまま水に入る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

サヘルは、寝た相手を自分の娘と思ったわけじゃないと思う。
ミナの子供とやってしまったショックはある。
ミナが、自分は死んだと娘に言い聞かせていたと知り、
政府や運転手にそう騙されていたのかと知った。そして、
娘たちは運転手の種だとはわかっていると思うの。
ミナは、強姦された子供じゃなくて、父親は夫だと思い込みたい、
娘にはそう話したかったのね。


イラン人の社会意識、宗教意識、よく知らないけど、
夫以外の男と(たとえ強姦でも)通じた女とは元には戻らない。んじゃないか?
(イスラムの人たちって、家族を殺したりするよね、名誉殺人とかってさ)
強姦でも、夫以外の男とやった女は、夫とは会えないんじゃないか?

だから、刺青入れてる時ミナも、
それが夫の背中だとわかっていても、何も言わない。
老人になった夫婦が抱擁するシーンは、
心の中での抱擁だと思う。

運転手とミナのセックスシーンで、今もミナが頭布をかぶっているのは、
運転手が自分に何をしたかを忘れさせないためだね。
あの時あんたが卑怯なことをしたから私はこうなった、
あんたにやらせる時は絶対にあの時と同じ状態でやる。その決意だね。

そんなに嫌なら逃げればいいじゃん、は、この国の女にはありえないことなんだろう。
家族以外の男と話しただけで家族に殺されたり、教育受ける女は殺されたり、
そんな宗教のそんな国でしょ?スンニ派、シーア派、国王派とか、
何が何やら理解できないが、だいたい、そんな国でしょ?





娘の刺青もサヘルの刺青も、詩人が書いた言葉に思える。
それぞれにあった言葉が彫ってある。

『他人の手で汚された血は自分の手で浄化する』
『境界に生きる者だけが、祖国を作る』


たくさんの詩が出てくるので、何回かじっくり見返してみたいものです。
タイトルになった、サイが岩塩を噛む詩も出てきます。



すごい映画でした。







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コメント

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浅野さん

この映画の色彩は銀残し?というものかもしれないのですね?素晴らしい美しさですよね。
中東の、民族や宗教や部族や女性蔑視や何やかや、私はどうにもよくわからず、それをきちんと理解してたら、この映画ももっと深く理解できるのでしょうねー。

入水の部分、夫婦の再会部分、夢のような現実のような・・・
でも、個人的には運転手を殺して欲しかったので、現実といたします。

「キャラメル」はほんとーに素敵な映画でした。

辛気臭くて人間らしい

 イランの苛酷な現実をベースにしているのは共通するものの、セミ・ドキュメンタリー的であった前作「ペルシャ猫を誰も知らない」とは対照的に、幻想的な場面が多かったですね。

 主人公の詩人が辛い現実を避け詩想の世界に遊ぶシーン。例えば、詩のモチーフにもなっている上空から落ちてくる亀、車に顔を突っ込むウマ、泳ぐサイが唐突に出てくる。そういった場面が現実場面の間に奔放に挿入されるので、内容的にかなり解りにくい部分が散見し、左脳人間のぼくにとって些か辛いものがないではない。

サヘルがアクバルを助手席に乗せた車ごと海に飛び込む場面も本当に現実なのかどうか?・・。

しかし、銀残しと思われる独自の色彩のフォトジェニックな画面は、喪失感に苦しみ孤独に苛まれる彼の心理が沈潜し、すこぶる美しい。
荒地を人が画面奥のほうへ進む最後のショットは、「国境に生きる者だけが新たな祖国を作る」という、体に彫られた彼の詩のフレーズに対応し、国を持たないクルド人の見果てぬ夢を表現、沈鬱な内容のうちに微かな希望を感じさせて秀逸です。

 中東映画は、一言で言うと「辛気臭くって疲れる」のですが、その分、見ごたえのある作品も多いです・・。

個人的には、辛気臭いのよりも、あちらさんらしいカラッとした雰囲気の中にも
濃厚な人間関係(日本人は情緒的ですが人と人のつながりは希薄ですね・・)を
漂わせた「キャラメル」のような作品が好みですね。

中東と一口に言っても、本流で頑ななペルシャ地域の国と、傍流で西洋との扉を、日本神話の天岩戸みたいに少しだけ開けていたレバノンなんかは、かなり違うのでしょうね。